私は年上の世代と上手く付き合えない事が多いです。
その最大の理由はあまりにも価値観がかけ離れた人がいるからです。
プライベートというよりは仕事に関してです。
おそらく昭和生まれの人は読んでも気分を害するだけなので読まない方が良いと思います。
あくまでゆとり世代や平成生まれの視点で嫌いな昭和の考え方を書きたいと思います。
もちろん、全ての昭和生まれの人が悪いわけではありません。
先入観が無く固定観念もない視野の広い素晴らしい人と出会った事もあります。
感情的にならず物事を客観視して判断できる人は世代関係なく素晴らしく優秀な人だと思います。
しかし逆に時代からかけ離れた考え方を捨てられない人も多いと感じます。
そして、我々ゆとり世代は彼らとは違うので色々批判されてしまいます。
私は批判されるのは全く構いませんが、その代わり「ゆとりだ」と批判する人は「自分たちも批判される覚悟」を持ってください。
そしてそれをきちんと受け止めて考えて欲しいです。
それでは私見ですが書いていきたいと思います。
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Contents
嫌いだと感じる昭和の価値観
無意味な精神論
自分より年上の人に感じるのは「無意味な精神論」で物事を何とかしようとする事です。
例えば、「満員電車が嫌い」で会社を辞めたいと思った時に「みんな我慢しているから我慢しろ」と謎の同調圧力をかけてきます。
そもそも「満員電車」がストレスなのに「我慢しろ」と言って何が解決するのでしょうか。
あとは「満員電車くらいで辞めるなんて非常識」だとか思っていそうです。
人それぞれの価値観があるのに対して精神論を振りかざして洗脳でもしたいのでしょうか。
他にも人間関係が原因で辞めたいと言っても「何とか上手くやって欲しい」など我慢ばかり強います。
別に我儘を通したいわけではなく「単に辞めさせて欲しい」だけなのに「残って欲しい」と言うのに「我慢しろ」と根本原因を解決しようとしません。
また「根性がない」など、少ない残業でも疲れてしまう人に対して「弱すぎ」と思っていたりする人もいます。
精神論を振りかざして相手に我慢させることばかり教え込もうとするのが本当に嫌いです。
満員電車が好きなら好きな人だけで乗ればいいじゃないですか。
嫌なら乗らなければいいだけですし、仕事が辞めたいなら辞めて良いじゃないですか。
価値観が違う事を受け入れられないのはあまりにも視野が狭くないでしょうか。
根性論で人を殺すこと
平成に入ってから「過労死」「鬱」「自殺」「パワハラ」が大きな問題として取り上げられるようになりました。
異常な労働時間の長さで精神的な病に陥ってしまったり、人格否定や理不尽な言動が原因で自殺してしまうなど、悲しい事件が起こり続けています。
これに関しては「昭和の人も被害者」であると思いますが、ではなぜ昭和の価値観だと書いたのか理由があります。
それは今も昔も過酷な労働環境は辛いはずだったのになぜ変えようと思わなかったのかです。
部活動の暴力問題を思い出してみましょう。
こちらも平成に入ってから大問題になり、今では指導者や先輩たちが後輩に理不尽な攻撃や暴力を振るうと社会から批判されます。
これ、本来は当たり前で「暴力の正しさ」なんて考えるまでもないのです。
ではなぜ今になって問題になるのでしょうか。
今まで問題にならなかったのは暴力を受けて辛いと感じたのにも関わらず自分たちも先輩や指導者になった時に同じことをしていたからです。
本当に洗脳に近い、「そうすることが正しい」と解釈してしまったからです。
本当であれば暴力を振るわれて「苦しい」「辛い」と感じたら「自分たちはやめよう」と思うのが普通です。
「暴力は悪である」という当たり前の話が、世間でも再認識されているだけの話です。
他人にされて辛い事を、あえて他人にも強いるのはおかしな話です。
そしてそういった理不尽や悪態を我慢することを要求して、傷ついた人たちを「根性がない」と批判してきます。
こうやってブラック企業を生み出したり、うつ病を生み出しているのです。
本来、耐えがたい理不尽や現実に耐えうる根性なんか必要ないのです。
理不尽を「根性」で乗り切る事で勝手に「成長」すると思い込むのを止めて欲しいです。
そうやって根性論で無理強いし過ぎた結果、過労死や自殺が起きるのです。
自殺社会を構築した事を深く反省して欲しいくらいです。
死んでまでやらなければいけない仕事なんてありません。
昭和の非人道的な根性論よりも、大切なものの方が多いです。
ゆとり世代への批判が理不尽
私は批判されるのは良いと書いた通り、批判されるのは別に構いません。
そして同じように「自分も批判される覚悟」を持って欲しいと思います。
なのでゆとり世代に対する批判が理不尽だと思うのでその理由を書きたいと思います。
そもそも「ゆとり教育」を作ったのも我々を育てたのも「昭和の人間」じゃないですか。
「ゆとり教育」のせいで学力が低下したなど言われますが、そもそも「ゆとり教育」が必要な社会を作ったのは前の世代の人たちでしょう。
物凄く自分たちを「棚に上げている」気がします。
そして「定時にすぐ帰る」や「仕事よりプライベート優先」だとか「帰れと言ったら本当に帰った」を批判的に言われることがあります。
そんな人、ゆとり世代関係なく昔も一定数いたでしょう。
「ゆとりだから」と単純にストレスのはけ口にされているだけのような気がします。
なんというか、そもそも論が多い気がします。
「飲み会に来ない」や「休日出勤を断る」とか別に「ゆとり世代だけがやっている」訳ではないでしょう。
そもそも飲み会も好きな人だけでやればいいし無理強いしてまで参加させるものではないのは当たり前だと思います。
無理やり連れていかれて、嫌々酒を飲んで何が楽しいのでしょうか。
昭和の人たちは無駄に相手に「気を使え」と言い、相手の振る舞いを一方的に避難しているような印象があります。
捨てきれない年功序列脳
これは本当に悪い考え方だと思います。
年功序列が産んだ悪しき風習です。
もちろん、年齢が上で敬うべき相手もいます。
そして最初に言いたいことをはっきり言いたいと思います。
敬われるべきは「尊敬」している人や「優しい」人だけであって年齢を武器に他人を振り回す人間は敬いません。
歳上だから誰でも尊敬できるわけではないですし、嫌いな人は邪険に扱われるのが心理的には当然です。
結局、パワハラやモラハラだって年齢や立場を利用して一方的に無理強いするから問題になっています。
先輩だから、年齢が上だからといった理由だけで一方的に歳下に理不尽を強いて良いわけがありません。
他人は他人で歳上でも先に生まれただけで偉いなんてことは一切ありません。
偉いと思うのは振る舞いや尊敬できる姿を見た時です。
いつも思いますが相手が歳下と知ると、急に態度を変える人もいます。
なぜ年下だと知ると舐めたような態度になる人がいるのでしょうか。
私は相手の年齢が上だろうが下だろうがよほど仲良くならない限りタメ口は使いません。
しかし、昭和の方々、それほど仲が良いわけでもない相手にタメ口使っていませんか?
普通に考えて失礼だと思います。
マナー講習を受けなおした方が良いと思います。
年齢関係なく他人は他人です。
初対面で歳下から呼び捨てにされたら貴方達は「失礼なやつだ!」と思いますよね?
それと一緒です。
家族でも何でもないのだから、初対面やそれほど親交のない相手にタメ口は使ってはいけないと思います。
タメ口で相手に不快にする事があっても、敬語で誰かを不快にする事なんてないですから。
気を遣う事ばかり要求
ここら辺、ゆとり世代と昭和世代で決定的に考え方が違うと思っています。
気を使うこと自体は良い事だと思います。
思いやりをもって他人にを気を配れるのは人として素晴らしい行いです。
しかし昭和の人たちからは気を遣う事を無理強いされているように感じます。
お酒の席では、「若い人が幹事」と決めつけていますし、仕事では「先輩の仕事を手伝え」とか言われます。
それでいて以前見た記事は「定時に帰る前に他に仕事がないか確認しない」などと書かれていました。
発想が真逆だと私は思います。
仕事を手伝って欲しいならお願いするのが普通じゃないですか?
仕事を頼む側が「なんで手伝わないんだ!」と言うのって逆ギレだと思います。
ましてや、自分の仕事が終わって帰ろうとしているだけなのに「他の人に仕事がないか確認しろ」ってあまりに理不尽だと思います。
こうやって残業が当たり前の世界を作ってきたのだと思います。
私は誰かに仕事をお願いするのに「なぜ手伝うと言ってくれないのか」なんて思った事もありません。
それは私がお願いする側で手伝ってくれる人には感謝してお願いするべきだからです。
こんなの思いやりのある人からしたら当たり前じゃないですか?
無駄に相手に気を遣わせようとして、気を使っていないと感じると一方的に「誠意がない」と感じるその性格、なんとかならないでしょうか。
自分たちが「もっと気を遣え」と同じことを言われたら嫌じゃないですか?
理不尽で他人が育つと思っている
本当に迷惑で余計なお世話なのですが、無駄な苦労を強いて他人が成長すると思っている人です。
仕事は「やって覚えろ」「見て覚えろ」とこちらも根性論です。
そしてそれがなぜか「本人のため」と思っているのが本当に寒気がします。
学校での教育を思い出して見ましょう。
先生がいて教科書があって一つ一つ教えてもらっていたと思います。
「学校みたいに甘くない世界だ!」と言いたい人もいるでしょう。
確かに全て教えてもらうのではなく、自分で自己研鑽して苦労しながら仕事をする方が能力は身に着きます。
では何を問題視しているのでしょうか。
それはやり方も知識もない人に「やって覚えろ」はミスの危険もあり仕事の丸投げであって教育の放棄だからです。
教育とは「教えて」「育てる」と書きます。
「何も教えない」は教育ではなく相手が出来るようになっても「自分が育てた」にはなりません。
理不尽を乗り越えて手に入れる能力なんて誰が望んでいるのでしょう。
なんか奴隷のようで、ドМを増やしたいのでしょうか。
「もっと厳しくして下さい」「厳しく指導いただきありがとうございます」「叱ってくれてありがとうございます」とか変態みたいです。
理不尽が多い会社と理不尽がない会社だったら、あなたはどちらに入りたいですか?
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最後に
私が嫌いな昭和脳について紹介してきました。
ちなみに私は昭和の人が嫌いではなくて「昭和脳の人」が嫌いなだけです。
無駄な根性論や精神論で物事が何とかできると思っていたり、不必要な厳しさや理不尽で他人が成長すると思い込んでいる人です。
根性論は本当に人を殺し続けると思います。
これだけパワハラ、モラハラが危険視されているのに、傍若無人に一方的に価値観を押し付けたりする人が減らないのは何ででしょう。
もう過労自殺や過労死、パワハラ自殺や精神的な病に追い込んだ人たちを「犯罪者」として刑罰化した方が良いと思います。
無駄な根性論や理不尽で人の命を奪う社会を壊すべきです。
もう嫌になっちゃいますね。