大学まで地方の田舎で生活し、就職で上京して7年が経ちました。
元々、田舎育ちというのもあって都会に憧れていたのは間違いありません。
初めて東京に来た頃は分からないことばかりで大変でした。
それでも東京に来て最初の5年間は最高の生活でした。
東京に来て本当に良かったと思える5年間です。
良かったというよりかは、この5年間のおかがげで今の生活が成り立っています。
しかし2年間は最悪でした。
2年と書いていますが現在進行形ですね。
今では東京以外のどこに住もうか悩んでいる最中です。
最高から最悪に変わった理由は精神面です。
悪いことがあったということではなくて精神的な変化がありました。
そんな心境の変化について個人的な感覚ですがご紹介したいと思います。
別に東京そのものが悪いという訳ではないのですが。
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Contents
最初の5年間は最高だった
地方では絶対に出来ない仕事
東京は日本の首都ですので、当然ながら経済の中心です。
IT業界の仕事では公共系、官公庁案件など東京でこそ出来る大型の重要なプロジェクトが動いています。
システムエンジニアとして偉大な野望を持っていたのでこのようなシビアな仕事に対してはモチベーションがありました。
その結果国家プロジェクトなど担当させて貰うなど大きな実績を残すことが出来ました。
他にも空港系、電力系、インターネット関連など社会インフラに関連するシステム設計・構築に参画させてもらいました。
5年間の間に非常に多くの経験と実績を残すことで、モチベーションも高い状態を維持して生活を送っており、そして充実した社会人生活でした。
なので5年間は仕事を中心に生活をしていて、仕事が充実していたので仕事が楽しかったです。
仕事中心の生活は迷いがないので今思えば楽でした。
仕事こそが自分の生きがいとしているので、変な迷いも誘惑にも負けませんでした。
順調にキャリアアップしていく自分に自己陶酔している感じで自己満足でしかないですが毎日が楽しかったです。
給料水準が高い
東京は給料水準が高いです。
最初に入社した会社の人間が全員クソでしたがそれでも給料は良かったです。
派遣をやっていた頃は、最初は薄給でしたが逆に「ふざけんな」と思い実績を作るために積極的に大型案件を希望しました。
その結果20代半ばで年収は少なくとも20代の平均以上ありました。
優良大手だともっとあるかもしれませんが、20代半ばで300万プレイヤーも多いです。
最終的には500万を超えているので、少なくとも派遣エンジニアでも実力をつければ単価も高くなり給料も上がります。
実力社会で自分の能力を高めて給料を上げていくことが楽しかったです。
仕事中心で生活しているのでお金もどんどん貯まります。
毎月10万円以上は自由に使えるお金がある状態です。
若いうちにのし上がって高い給料をもらおうと、仕事に対するモチベーションもお金が貰える喜びも非常に大きかったです。
独身貴族を楽しんだ
私は独身ですので自由にお金を使い自由に生活を楽しみました。
今はもうどうでも良いことですが、都心部のマンションに住んだりタクシーで帰宅したり優雅な生活を送っていました。
若いうちに贅沢をすることで、言ってしまえば承認欲求を満たしていたのだと思います。
東京で高いマンションに住むことや贅沢することがモチベーションでした。
典型的な田舎者なのですが、都会で成功して贅沢することに憧れていました。
野望は尽きないので、1DKくらいのマンションに住んでも、「次は1LDK」など給料を高めるためのモチベーションには高い生活水準を求める気持ちもありました。
完全に浪費家でしかないのですが、それでもモチベーションが高いことが一番重要だった時期だと思います。
また飲み会や合コンなども学生時代以上に行っていました。
私は大学時代はほぼ彼女と一緒に行動するばかりで、合コンや飲み会はほとんど行きませんでした。
貧乏だったのでバイトと彼女と勉強の繰り返しで学生生活を謳歌したとは言い難いです。
しかし東京で給料を上げていき良い場所に住んで飲み会もたくさん行くような、「都会に飲まれている」生活を楽しんでいました。
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直近2年間は最悪だった
燃え尽き症候群になってすべて変わった
某大型プロジェクトの設計チームとして仕事を終えた後のことです。
仕事に対するモチベーションが一気になくなってしまいました。
実績としては必要十分以上の役割をこなした後なので、ヘッドハンティング含めて仕事に関しては引く手数多な状況にありましたが気持ちが全然追いつきません。
最後に経験したプロジェクトを終えて「燃え尽き症候群」になってしまったのです。
それまでは休みの日も自己研鑽したり、次の出勤の前日にやることを整理してから寝るなど仕事一筋だったのがまったくもってやる気が起きなくなりました。
それまで激務が続き、体調不良で何度か休んでいたので、ただ疲れているだけかと思いました。
しかし、朝は体が動かない日が続き、精神面では次第に「消えたい」と思うようになりました。
原因は最後のプロジェクトの規模が大きく自分の目標として仕事を終えてしまったからだと思います。
もちろん、上を目指すならもっと目指せます。
しかし、目標を達成した後にモチベーションを維持できるかとは別問題です。
強いて例えるなら、富士山に登頂してからヒマラヤ登頂を目指すか目指さないかです。
富士山で満足してしまったら、もう登りたいと思わない人だっているでしょう。
仕事中心に生活していた私が燃え尽きてしまった後の東京の生活は苦痛でした。
それまで耐えられたものが一切耐えられない苦痛に変化しました。
それまでの視野とは全く異なるものとなりすべてが苦痛で、それまで楽しかった合コンにも行かなくなり外出すること自体が苦痛になりました。
東京にいるとストレスしか感じなくなった
こんな状態がかれこれ2年以上続いています。
病気的には「抑うつ」状態になり、最初の1年間はかなり重症でした。
精神的な病になると、あまりに辛くて「希死念慮」も抱くようになりました。
病んでしまってからは様々な症状が体に出るようになりその原因の大半はストレスでした。
まず満員電車が最大の理由でしょう。
知らない人と体が密着したり、体重をかけられたりすることが本当に苦痛になりました。
他にも列に並ばずに横入りする人や、平気でぶつかってくる人などマナーの悪い人の行動ばかりが目に映ります。
東京には自己中心な人が多く生活していくには厳しく感じ始めました。
どこに行っても人がいて、新宿などはゴミのように人がいます。
ご飯も地方に比べたら品質の割に高いですし、ちょっとした災害ですぐに駅も街中もパニックになります。
また、早朝でも深夜でもサラリーマンが常に歩いていて、仕事の歯車にされている人が多い地獄絵図にしか思えません。
結果的に私の精神状態は悪化していき非常に疲れやすい体になってしまいました。
自律神経が乱れて朝は動けなかったり電車で足が痙攣したりするようになりました。
今では身体的な症状はほとんどありませんが、耐え難いストレスは今でも感じています。
2年以上耐えるだけの生活
燃え尽きて以降は、日々耐えるだけの生活です。
お金に関しては、仕事は続けているので問題はありませんでしたが、引っ越す気力などはないので高い給料を維持する必要がありました。
しかし、仕事に対するモチベーションがない状態なのでほぼ「指示待ち人間」と化してしまいました。
毎日の満員電車や会社の人間関係などすべてが嫌で耐える毎日です。
人間関係ほどどうでも良いものはないというのもよく分かりました。
最後に勤めた会社には「脳みそ年功序列」の面倒な中高年が多く正直かなりストレスでしたが一定の距離を置くようにして出来るだけ関わらないようになりました。
他にも無理難題を突き付ける人は「無視」することでストレスを回避するようになりました。
人間関係でトラブルがあっても仕事がなくなることはありませんでした。
厳密に言えば、仕事に支障が出るのですがストレートに話すようにしました。
「〇〇さんが嫌だというので出来ません」や「〇〇さんが無理だと言っているので出来ないですね」という具合です。
もちろん、自分で出来る事は自分でやりますし、自分の仕事ではないことは担当に依頼するので、拒否されたら「出来ません」以外の選択肢がありません。
とにかく耐えて耐えて耐えての毎日でした。
モチベーションがなくなると世界が一変してしまいます。
ストレスはないほうが良いのが本当によく分かります。
考え方が古い人たちについてけない
モチベーションがなくなってしまった理由が他にあるとすると考え方の違いです。
「これ以上付き合いきれない」と思ってしまったのでしょう。
モチベーションがあるときは、何であれ仕事での成果が一番だったので耐えれていたのだと思います。
私が嫌いな古い考え方は以下です。
- (満員電車など)みんな我慢しているんだ
- 通勤時間が1時間以内なんて贅沢だ
- 仕事はやって覚えるもの
- 電話は年下が取るものだ
- 若手は飲み会の幹事や注文役を買って出ろ
一つ目はまず「なぜ赤の他人の努力を見習わなければいけないの?」です。
好きで満員電車に乗っている人の苦労なんて知りません。
なぜ、嫌なものを無理やり我慢しなければいけないのでしょうか。
二つ目は、通勤時間なんて「無給」で「自分の時間の浪費」でしかないです。
無くて良いなら一番良いですし、2時間以上通勤するなんて正直時間がもったいないです。
三つ目はそもそも「仕事はマニュアルを作る」のが当たり前です。
そんなに属人化が好きなのでしょうか。
マニュアルを整備したら、新しい人が来てもいちいち誰かに聞かなくても仕事が出来るので効率的です。
本当に古臭いクソみたいな考え方です。
四つ目は言うまでもないです。
電話は「取れる人が取ればいい」だけです。
電話に出ない年上社員ですが、一度も尊敬したことが無ければ大嫌いです。
最後はもはやパワハラ・モラハラです。
好きでもない飲み会で気を使ったりするのがゴメンです。
飲み会はやりたい人がやってください。
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最後に
東京に来てからの心境の変化を書いてみました。
病気に関しては今はかなり良好な状態です。
回復してきたのは、徐々に東京から離れる計画が実行できそうになってきているからでしょう。
東京にはもういたくないので、終わりが見えることで心理的に楽になっているのだと思います。
東京に来た頃は「東京は住むところじゃない」という言葉を実感しませんでしたが今では毎日感じています。
実家のある地方に帰るか、それ以外の田舎を選択するかはこれからです。
東京で働いて病んでしまう人は本当に多いと思います。