こんにちは。
最近は仕事にストレスを抱え過ぎてネガティブな記事や愚痴のような記事ばかりを書いています。
こういった話は、どちらかと同じ気持ちを抱える人に共感してほしいと思って書いています。
価値観や考え方の違う人にとってはムカつく記事でしかないでしょう。
しかし、反論しても十人十色の価値観は変わりませんし、不毛なやりとりをして神経をすり減らしても何ひとつ楽しくないですよ。
そこで今回は他人に何かを無理強いするときの「自分もやってきた」という言葉についてです。
これに関しては理解できなくもないですが、経験の活かし方が間違っているように思えます。
個人的な価値観でしかありませんが、あまりに理不尽であると言えます。
ではなぜ理不尽に感じるのでしょうか。
過去の経験をどう活かすかは自分次第です。
そんな事を踏まえて、「自分も同じことをずっとやってきたんだ!」という人の心理と理不尽である理由にについて個人的な見解を書いていきたいと思います。
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Contents
「自分もやってきた」と言う人の心理
それが当たり前だと勘違いしている
よく「普通は~」であったり「~が当たり前」と語る事があると思います。
一般良識や倫理的に「普通」や「当たり前」は当然存在しますが、仕事のやり方や考え方、生活の中での判断基準はすべて共通化出来るでしょうか。
不可能ですよね。
「自分がやってきた」事を基準にして物事を考えるゆえに、相手の考えを聞かずに自分の考えと違う考えを「異常」とみなしています。
もちろん、全て間違っているわけではないでしょう。
そして、全てが合っているわけでもありません。
そもそも、理屈も論理もない説得の仕方をする事自体が誤りだと思います。
何なら、感情的に「何とか手伝ってほしい」と訴えた方がまだマシな気がします。
部下や後輩に同じ経験をさせようとしている
自分が辛い思いや大変な苦労を乗り越えた経験から、他の人にも同じ経験をして成長して欲しいと思っている人もいます。
確かに、人として成長するためには、時には高い壁やハードルを越えることで大きく成長します。
それ自体は何も悪い事はありませんし、むしろ愛ゆえの厳しさであるとも思います。
しかし、残念ですが時代はどんどん変わっています。
部活動で暴力問題が取り上げられるようになったのもこういった社会通念が変化しているからです。
私も中学校の頃は、蹴られるのなんて普通でした。
しかし、今それをやってしまうと仕事を失ってしまう大人も多いです。
自分がやってきたことが現代社会で強いて良いか判断を誤っている事があります。
相手が自分の意図した通りに動いてくれなくて、怒鳴れば怒鳴るほどパワハラやモラハラで通報されやすいです。
また、無意味な仕事や経験をあえてさせるのも効果的ではない事もあります。
自分がやってきたことをやらないのが許せない
こういった一方的な感情は本当によくないのですが、言う側がずっとやってきた事を、他の人がやらない事で「不満」を感じる人がいます。
確かに、ずっと下っ端で雑用をしていたのに、新しく来た人が全く雑用をせずに、下っ端で無くなったのに雑用を続けるのは理不尽に感じます。
おそらく、「自分もやってきた」と言葉にする人の大半がこのような心理だと思います。
自分が味わった苦痛を過去の自分と同じ立場の人にも押し付けたいという心理です。
相手がどう思うかではなく、自分がやっていたから他の人もやるべきだと思っているからこその行動です。
それゆえに、反論や拒絶されると「自分もやってきたんだから」と言うでしょう。
一方的な感情でしかないと思います。
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だから何でしょうと思う理由
赤の他人のやってきたことである
「自分もやってきたんだから」というのに対して「だから何でしょう」と思っている理由は、それはそのまま赤の他人の苦労なんて関係ないからです。
苦労話を聞いて、「自分も頑張らないと」と思う事ももちろんありますが、その反面「なんでそんな事してきたんですか」と思う事もあります。
確かに、尊敬するだけの苦労話であれば聞く価値は大ありなのですが、大体こうやって何かの理由に「自分もやってきた」を使う人は、理由が無くなり「泣きべそ」をかいて我儘を言っているだけです。
相手に対する本音で言うと、悪いですが「あなたが選択して進んでやった事」を他の人も真似しないといけない理由はありません。
仕事上、そのプロセスを経てメリットがあれば当然、拒絶することはありません。
例えば、大炎上プロジェクトで仕事をするとか、体は壊れかけますが、炎上というのがどういうことかよく分かります。
これは良くも悪くも経験が将来に活きます。
炎上させないためにどううまくやるかを考えるようにもなるでしょう。
つまり、貴方が苦労したからと言って不要な経験までも押し付けて、なぜ他人にも不要で同じ苦労を強いるのでしょうか。
「苦労は買って出るもの」という言葉があるように、無理に強いるのではなく自分で買って出るようにするのが本来のあり方ではないでしょうか。
苦労は労うべき功績であると思いますが、不要なまでに赤の他人の苦労を真似しなければいけない理由はありません。
過去にやったというだけで今必要ですか?
先ほど時代の変化について書いた通りで、その当時は必要だったことでも現代は不要な事もあります。
USBが普及している今の時代に、フロッピーの使い方を覚えて意味があるでしょうか。
時代の変遷を理解するために使うかもしれませんが、実業務では使わない事がほとんどでしょう。
必要の無い事であれば断られて当然ではないでしょうか。
そこで今回、会話に置き換えてみます。
A「なぜフロッピーを使わないとけいないのですか?仕事で使いませんよね?」
B「昔はこれを使っていたんだよ。試しに使ってみて」
A「仕事で使わないなら仕事で使う内容を優先して教えて欲しいです」
B「自分も昔はやってたんだから」
あまりにも無意味な会話で、必要が無い事を無理に押し付けているだけですよね。
最終的なB言葉に対して、「だから何」って思います。
貴方がやってきたことと、今必要な知識は別物である事も多いです。
あまりに一方的で抽象的な理由のため、正直理由にもなっていと思います。
嫌だと思っていた事なら尚更言わない方が良い
「だから何でしょう」という言葉にも攻撃性があり、相手の精神を刺激する言葉ですが、やはり最後まで「自分もやってきた」は「だから何でしょう」と言いたいです。
経験を活かすのは自分次第と書いたように、「自分がやってきた」事実は揺るぎませんし、だからこそ適切な活かし方をするべきではないでしょうか。
自分がやってきて嫌だと思った事や面倒だと思ったことほど協力的にするべきではないでしょうか。
私は社会人として仕事をしてきて、嫌だと思った事、傷ついた事、不愉快だと思った事、面倒だと思った事を相手に強いることだけはしないようにしています。
仕事を丸投げされて、失敗してしまった経験があるので、依頼する場合は必ず「認識のすり合わせ」と「資料やマニュアルを整備する」は意識的に欠かさずやるようにしています。
「自分もやってきた」という理由で丸投げしようとしたり価値観を押し付けようとするのは理由になっていません。
「自分もやってきから何ですか?」という事です。
まぁこう聞くと素直に「自分はもうやりたくない」という人もいるので、それはそれで言ってくれれば納得できるんですけれどね(笑)
変にキレられる方が嫌ですし、怒っているなら言うべきではないですね。反発するだけなので。
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最後に
自分がやってきたことが全てであるとは限りませんし、時代によっても人の考え方は異なります。
全ての人が同じ経験をしていても、考え方が違う事もあります。
少なくとも、何事も自分の価値観で無理強いする事が危険視される世の中になっています。
「そのくらいいいだろう」が良くなくなってしまう事もあります。
特に感情的になる人は要注意だと思います。
私のような性格の悪い人も多いので、自分の経験だけを押し付けるのは良くないですよ。