こんばんは。
少々過激なタイトルですが、「価値観」について書きたいと思います。
当たり前の話ですが、価値観は人それぞれで正しい事もあれば間違っている事もあります。
例えば、サッカーの試合で負けた時に「内容が良かったから成果である」と感じる人もいれば「負けは負け得るものは無い」と考える人もいます。
全ての人間が理解し合い同じ「価値観」を共有することは絶対的に不可能です。
不可能です。
もし可能な方法があるとしたら「人類補完計画」しかありません。
エヴァに興味ない人はスルーして下さいねw
簡単に「人類補完計画」を捕捉すると、ざっくり言えばこれは「肉体を捨てて精神世界ですべての生命が一つになる」事です。
脳みそみんなガッチャンコすれば、みんな何考えているか分かるよねーって事です。
んでもって一つの生命なんで、みんな自分だよねーって事です。
適当に解説しましたw
また脱線しましたが、タイトルの通り「価値観を押し付ける」行為は他人を殺すことと同義であることもあります。
私は批判的な記事を書くことが多いですが、それはあくまで現実世界で溜め込んだ「愚痴」であって批評家などではありません。
しかし、一方的に価値観を押し付けてくる悪魔のような人は1人でも少ない方が良いと思っています。
それでは書いていきたいと思います。
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Contents
価値観を押し付ける人は人を殺す
実際に殺人事件が起きている
良くあると書くとよろしくない表現かもしれませんが、揉め事で殺人が発生する事があります。
それが、「ガンを飛ばされた」なんて理由から揉めることもあります。
人と人の目が合う事なんて日常的にある事です。
しかし、それが人や相手によっては「威嚇」や「敵意」に変換されている結果です。
そして、その人の価値観で変換された事実に対して行動を起こした結果が殺人に至ります。
死んでしまった人は、たまたま目が合っただけで意図した行動ではなかったかもしれません。
本来、「目が合う」というのに対して、「殺意」を抱く人も少ないです。
しかし、それを「殺意」に変換するのには価値観が存在しています。
その結果、「目が合う」ことに「敵意」を感じた人は「敵意である」事を相手に押し付けるために暴力を振るいました。
あまりに一方的で、相手は死んでしまいました。
例のバイクの事件が典型例ですね。
今回はあくまで参考例で、実際にはもっと低レベルで陰湿な価値観の押しつけが日常的に発生しています。
とりあえずは、タイトルの煽りが誇張ではなく「実際に起きている」事であるという事を最初に伝えたかったです。
生命としての死と心を殺すのは別物
人間として、「生」と「死」という意味合いで言えば前者であれば「生きている」事は成立します。
しかし、生きているのに死んでいるのと同じような気持ちになってしまう事があります。
その多くの原因は「否定」にあると思います。
人は自分が生きている理由や意味を見出したいと思うと、それが見つからなかったときに「死にたい」と思う事や「いなくなりたい」と思ってしまう事があります。
「価値観」の押しつけは他人の「価値観を否定」する事に直結する事が多いです。
全てがそうであるとは言いません。
視野が狭かった人にとっては、新しい発見であり有益な情報になる事もあります。
しかし、それでも一方的に自分の価値観だけを押し付けるのはストレスになりやすく他人が距離を置く理由になりやすいです。
相手の心を殺すのも一種の殺人行為です。
相手の考え方を否定して、発言権を奪い、一方的に価値観を支配しようとする。
あまりに自己中心的で、独裁的で、愚かな行為であると思っています。
そもそも、自分の中で正しいと思う事を主張するのではなく押し付けるのは「一方的な勘違い」です。
言い方を変えると「余計なお世話」です。
人間として成り立っていても「心を殺す」のはあまりにも辛くて苦しくて耐え難い地獄です。
個人的な経験ですが、どうでも良いことほど執着して他人に害を与える人が多いです。
なぜ客観的に自分を見つめられないのか本当に疑問です。
もし、相手の主張を一方的に上書きしようとしているのであれば誰からも愛されずに生きていく覚悟が必要ですよ。
考え方の違いを受け入れられない時点で残念な人
優秀な人ほど視野が広く、魅力的な人ほど寛容であると思います。
視野が狭い人は、自分が優秀だと勘違いしている事が多いですし、魅力的でない人ほど理想が高く自分に見合った基準を持っていません。
そして、考え方や価値観が違うのが当然だと思っていれば、振る舞いも変わってきます。
価値観の違いを受け入れられない人はその程度の人なんです。
仕事はきちんと出来るのに、他人の価値観を否定する人って本当に残念だと思います。
仮に「間違っている」と思っても口にしたり、自分の価値観を語る必要が無いのに他人に押し付けます。
必要が無いのに無理に強いる事に一体何のメリットがあるのでしょうか。
違いがあるからこそ、押し付けるのではなくて理解していく事が必要ではないでしょうか。
私にも私の価値観がありますが、それが全てだとは思いません。
今、私が述べている事が正論であり正しい在り方だとは思っていません。
私は価値観の違いを受け入れられない人を「残念な人」と思いますが「残念ではない」と思う人を否定しません。
むしろ、それをしたらこの記事自体に存在意義がなくなります。
私を否定したい人がいても、それは構いません。
だって、価値観は人それぞれですから。
ただし、主張はしても押しつけだけは絶対にしないで下さい。
誰かの心を殺すのは本当に止めて欲しいです。
これは単なるお願いでしかありません。
価値観は人を殺します。
生物学的な「死」もあれば精神的な「死」もあります。
生きているから何でも幸せなわけはありません。
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価値観を押し付けてくる人への対処
遠ざける
職場に価値観を押し付ける人がいるのであれば、退職しましょう。
我慢しない方が良いです。
自分を犠牲にしないでください。
限界なら辞めて、逃げて、遠ざけてしまっても良いのです。
逃げることは人生で必要な事です。
むしろ、頭のおかしい人や価値観の合わない人に無理に付き合う必要はありません。
自分の心を殺すよりも、自分の心を殺さずに生きていける道を探していきましょう。
無視する
極めて幼稚な対処と思いますが、これも無理に向き合う必要はありません。
人間社会では「協調性」や「コミュニケーション能力」を過剰に求めすぎています。
嫌いな人は嫌いですし、それは変えられません。
嫌いな人と仲良いふりをするのは所詮、仮面であって本当の意味での協調性もコミュニケーションもありません。
我慢や無理が生じている時点で破綻しています。
無視する気力がなければやはり遠ざける事をおすすめします。
相手を全力で否定する
これは罪悪感を感じる覚悟がある事と、すべてを投げ捨てる覚悟があればやってみましょう。
そもそも価値観を押し付ける人は、自分の価値観が正しいものであると思っています。
ではそれを全否定するとどうなるでしょうか。
子供のように発狂して、反論して、逆上して、感情的になります。
論破されたり批判されると、理路整然として理屈ではなく「自分の価値観は正しいんだ!」と無根拠な主張を始めます。
これを周囲に晒した時に、相手が被るデメリットがあります。
周囲のまともな人間はこのような行いを異常な行動と判断します。
当たり前ですよね。
価値観が違うなんて当たり前なのに、否定された発狂です。
ついでに言えば、自分は他人に押し付けて、自分が同じことをされたら都合よく我儘を言うのです。
もし気力があれば、出来るだけ大勢の前で大声で否定して、その人の「存在意義」を否定する事で二度と会話することもなくなります。