こんにちは。
愚痴のような記事になってしまいますが、仕事を依頼されて具体的な質問をしたときに「自分で考えてみてやって欲しい」と言われる事があります。
また、「考えて仕事をしろ」と苦言を言われた経験のある人もいるかもしれません。
「考えて仕事をする」という事自体は非常に有益な経験で、それが出来れば間違いなく成長していきます。
しかし、時間や時期などを考えて使わないと非常に危険です。
先ほど挙げた「考えて仕事をしろ」に関しては、感情的になって相手に文句を言っているだけです。
こちらは時間など関係なく他人を不愉快にするだけの愚かな行為でしかありません。
そもそも感情的になる時点で、尊敬すべき相手ではないですね。
仕事には時間に余裕がある時もあれば無い時もあります。
そして、「考えて欲しい」と言っている人が、言われた側にとってどんな存在かも重要です。
言葉の一つ一つが相手によって印象が異なる事もあるからです。
また、「考える」の程度に依存します。
そこで今回は私見でありますが、仕事で「考えて欲しい」と言われる事について書いていきたいと思います。
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Contents
時間がないのに「考えて」は絶対ダメ
忙しい時に「考える」時間はない
これは完全に個人的な経験則になってしまいますが、忙しい時期にある仕事が飛び込んだ時に「考えて欲しい」と言われました。
その仕事は過去に担当した人が資料を用意しており、基本的にその通りに実施すれば出来る仕事でした。
私は年度末に入って業務量が増えていて、担当する事自体も少し躊躇しましたが仕方なくやる事にしました。
そして、資料の引継ぎをする時間を作って準備を整えようと思っていました。
しかし、資料があるにも関わらず「考えて資料も作ってみて欲しい」と言われました。
はぁ?
って心の中で思いましたが、本当に口に出しそうで怖かったです。
忙しくなければ別に考える時間があるのでやりますが、どう考えてもスケジュールに色々入っているのは見えているはずです。
営業職でもないのにたくさん電話している姿も見ているはずです。
この状況で「考えて」って空気読まなすぎだと思います。
多分ですが、忙しい時に既に方法が確立している仕事をゼロから「考えて欲しい」と言われて嬉しい人っていないと思います。
また、「考える」事が仕事であれば苦痛ではないと思います。
それは、私がシステムエンジニアであるので置き換えると「設計」業務にあたります。
設計は「考える」事が仕事ですが、今回書いているのはシステムエンジニアに直結しない社内のちょっとしたイベントです。
強制的にどうでも良い事で残業させようとしているのか分かりませんが、忙しい人に無駄に「考えて欲しい」は反感を買うだけなので辞めた方が良いです。
無駄な事をさせるな
先ほどの続きのような話になりますが、そもそも「考える」必要のない事を「考える」事に意味はありません。
資料があって、その通りにデモンストレーションすれば出来る内容であれば、そのままやれば良いだけです。
私に無駄に残業をさせて経費を増やしたいのでしょうか?
資料って他人のために用意するものではないでしょうか。
他人のための物を使わずに、ゼロからやらせて一体何の意味があるのでしょう。
教育が下手くそな人って、指示する内容が後輩や部下にとって良い事か悪い事か理解していないと思います。
一方的に押し付けたりして、それを勝手に「○○くんのため」とか思っていそうで寒気がします。
私怨に走ってしまいましたが、「考える」事が無駄であればさっさと片づける事を優先すべきです。
例えるならじゃんけんをする時に、「俺が何出すか考えてからじゃんけんしようぜ!ちなみにパー以外なw」とか考える時間は無駄です。
じゃんけんした結果が全てですし、結果と「考えた事」に因果関係がほとんどありません。
先ほどの資料の話も、「有益な情報」を「あえて使わない」という極めて非効率な発想です。
もし「考えさせて成長させる」という気持ちがあるのであれば、適切な業務内容にしましょう。
私も技術的な事であれば、このように悪く言うような事はしません。
なぜならシステムエンジニアであって、それが仕事だからです。
本当にどうでも良い仕事で時間を取られたくはないのです。
自己満足に他人の時間を使わない
「考えて欲しい」というのは教育する側の「考えて出来るだけの力を付けて欲しい」という意思表示だと思います。
本当にこの気持ちは間違いなく良い意識だと言えます。
何でもマニュアルちっくであったり、聞いて出来てしまう事だけをやっていても本人のためにならないです。
その反面、自己満足のために「考えさせる」事を強要してはいないでしょうか。
そもそも、考えても分からないような事を考えさせて、それは有益な時間になるのでしょうか。
例えば、新卒で入社してきたエンジニアにサーバ構築を依頼するとして「自分で考えて欲しい」と言っても無謀です。
むしろ、ストレスだと思います。
何が分からないか分からない状態では、考えても分からないので最終的に聞くしかありません。
それが出来た時は「考えれば出来る人」を育てたような感覚に浸るのではないでしょうか。
それは育てたのではなくて、「育った」だけです。
本人が苦しい思いをした結果です。
あえて苦しい仕事を与えるのは仕事の成長になりますが、そもそも無理な事を「考えさせて」、その結果「育てた」は違います。
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尊敬されない人は態度で分かる
嫌な相手からの「考えて」は答えに時間がかかる
会話するのも嫌な先輩や上司から「考えて欲しい」と言われるのはストレス以外の何物でもありません。
その人から理不尽な要求があるような感覚にしかなりません。
そうするとモチベーションは保てません。
その結果、依頼に対してレスポンスが悪ければクオリティも高くありません。
嫌々考えて、嫌々資料を作っても、最低限の事項しか埋まらないでしょう。
モチベーションが高ければきっと質の高い資料が出てくると思います。
残念ながら、相手に「考えさせた」結果が杜撰なものであればあるほど、相手はあなたを尊敬していません。
そしてその結果に対してまた辛辣な言葉をかけても全て悪い方向にしか行きません。
なので、私は「考えさせたのがダメだった」と反省します。
これは相手にそれだけのスキルが無かったと思うのではなくて、「伝え方」や「こちらの思い」を相手にしっかりと認識して貰えていなかったのだと感じるからです。
尊敬される人は周りが自然と頑張る
先ほど書いたことと真逆で、尊敬される人からの「考えてやってみて欲しい」はある意味試練だと感じます。
試練というのは、乗り越えたら成功できる、または評価されるという思いから「試練」になります。
技術職でも結構ありますが、それなりの難易度のシステムを扱う時に「考える」事を要求されるのは、一定の技術力を認めてもらえたからであってそれは「結果」という形で期待に応えようとします。
モチベーションが高い状態での「考える」は依頼側にとっても受け手にとっても有益な経験です。
また、理想の上司からの「考えて」であれば、相手を失望させないように全力で取り組むでしょう。
尊敬していない人の場合は、嫌われても良いと思っている節もあるので、時間があれば取り組む程度です。
尊敬されない人も、そういった反応に感情的になればなるほど関係は悪化します。
しかし、尊敬できる人の大半は他人が「考えて出した答え」を客観的に評価します。
感情的な人は「この程度しか出来ないのか」もしくは「これが自分が望んだ答え」と判断するでしょう。
客観的な人は「この内容では不十分」もしくは「この内容なら十分役員に説明が出来る」と判断するでしょう。
尊敬される人の方が、求めるハードルも高く評価に感情が伴わないので仕事がしやすいと思います。
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最後に
「考えて仕事をする」事について書いてきました。
「考える」という行為は非常に大切ですし、成長に大きくつながるので使っていく事は大事です。
しかし、今回書いたように「考える必要の無い事」をあえて「考えさせる」のは無駄です。
資料などでさっさと理解してもらい、むしろその内容と同等の資料が作れるようになれば良いと思います。
なぜなら、誰のための資料やノウハウなのかという事です。
何でもゼロからやらせればよいという訳ではありません。
という愚痴っぽい記事でしたw